大阪市住吉区の万代池の南、住宅街の中にある「私設図書館」です。
真宗大谷派・受念寺の副住職であり、脳神経内科医の岸上仁が発願し、受念寺住職・岸上正の支援のもとで開設しました。
先代の住職であり、軽費老人ホーム受念館の創設者でもある岸上正暢が住んでいた旧家が老朽化し、改装が迫られているとき、ただ改装するのでは面白くない、新しいことがしたいという思いがあり、以前より構想があった私設図書館を造りたいと考えました。
代表の自己紹介
私は代表の岸上仁(きしがみ ひとし)と申します。現在は、受念寺副住職と、脳神経内科医として尼崎と京都で勤務医をしています。
お寺に生まれましたが、医療に関心をもち医師になり、しばらく大学病院や市中病院で神経難病の臨床や研究をしておりました。しかしお寺を継がなければならないということもあり、仏教の大学に再入学、真宗大谷派(浄土真宗)の住職になるための学びと、仏教学(インド仏教)を学びました。そして仏教の学びが医療現場の問題と深く関わることを知り、大学院に入って学びをつづけました。(関連するインタビュー記事(外部ページ))
お寺のお参りと病院の診療のほかに、大谷大学仏教学科や京都光華女子大学看護学科で非常勤講師をしたり、仏教の視点から医療現場の問題にせまるエッセイの執筆や(エッセイは代表のブログに掲載しています)、また京都にある仏教の学び舎(相応学舎)のお手伝いをしたりしています。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。
なぜ図書館を造ったのか?
人が生きていく上で、医学はもちろん大事な役割を持っています。しかし、脳神経内科医として神経難病の診療に携わってきた中で、医学では解けない課題を患者さんからたくさんいただいてきました。医学が発達し人間のことが詳しくわかったようですが、一人の人間が、「人間として生きる」ということの、ほんのわずかな側面を見ているに過ぎません。
人間が人間として”生きること”を学ぶ。人間はどんなことに行き詰まり、どんな苦しみを抱き、どんなことを喜び、どう生きることが本当に人間としていのちを全うすることなのか。そういう「人間」を学ぶ場所が今の世の中に乏しいことを感じていました。
仏教を学んでいると、先人たちは、そのような”生きること”を、もっともっと学んできたのだ、そして私よりも私のことを知っている人がいるのだと感じました。この世界には、私の「思い」の中では到底気づけない、無数の「智慧」がある、と。本にはさまざまな人がそれぞれの人生の営みの中で築いた知がつまっていますし、ことに仏教の経典は、人生に苦悩しそれを乗り越えてきた人々の血や汗が「智慧」となって結晶しているものだといえます。
何を見るかという「知識」ではなく、その見ている視点自体が問われるような「智慧」によって自分自身が問い返されたとき、広い世界を見る眼が開かれるということがあります。今の世の中には知識は溢れていますが、そういう自己を深く見つめる学びが乏しくなっているということを、私自身が仏教の学びから教えられました。ですので、今も仏教の学びを続けています。
そういうことから、さまざまな智慧に触れられる図書館を開きたいという思いにいたりました。
「念々堂」に込めた願い
「念々堂」という名前は、『仏説無量寿経』に出てくる言葉、「仏仏相念」(仏と仏と相念じたまえり)から名づけました。
「仏」というのは、個人の名前ではなく、「目覚めた人」という意味です。「目覚めた」といっても何か特別な境地ではなく、人生のいろいろな困難の中を歩み、そのことに苦悩しながらも、いのち尽きる瞬間までいのちを輝かせ続け、満ち足りた人生を送った人のことだと言えます。そんな仏に出会った人が、その姿から生きる勇気をいただき、自分も仏のように生きたいと願いました。つまり満ち足りた人生に出会って、自分も人生を全うしていく、そういう物語が経典に描かれています。だから仏も始めから仏なのではなく、仏の姿に出会って自分もまた仏になっていくのです。
そういう意味では私たちは、本の中の人であっても、目の前の人であっても、一人の人にただ出会うのではなく、「仏として出会う」、つまり精一杯生きる一人の人間として敬いを持って出会い、その人生に思いを馳せる(念じる)とき、さまざまな生きる智慧をいただきます。自分のものさしで出会っているうちは、自分の関心に出会っているだけです。しかし自分のものさし自身が問われたとき、自分の関心を超えた広い世界を見る智慧と出会い、生き生きと生きる意欲をいただくということがあるのではないでしょうか。「念」というコトバにはそんな大事な意味が込められています。
受念寺の「念」と、併設する軽費老人ホーム受念館の「念」でもありますが、同じ願いが込められていると思います。
そういう意味で、「よき人」に出会い、人生を支える「智慧」に出会う。出会った人が生き生きした歩みを始め、またその人の姿が誰かを歩ませる。そんな出会いを大事にする言葉が「仏仏相念」です。智慧を通して人と人とがつながり、人生のさまざまな問題を一緒に確かめ、生きる意欲を支えあえるような場所が開かれることが私たちに願われています。「念々堂」がその願いに応える場所になればと思っております。
「念々堂」代表 岸上仁